「かみなりにうたれて死んだあのこのことを思い出している」
" Thinking of her who died from being struck by lightning "

| 2017.10/20-11/12 | space dike |
| Oct.20-Nov.12,2017 | spacedike |

本展のタイトルはもともと2013年の個展「死ぬのはいつも他人ばかり」(2017年に一部再展示)に於ける派生的な写真シリーズより付けられた。
フライヤーのメインビジュアルになっている青空の中に立つ避雷針の写真は、前回インスタレーションの際に展示室の中央に象徴的に配置したものである。
ここでは本展を鑑賞する上で何らかのヒントになるように、主にその写真シリーズについて解説する。
写真シリーズ《かみなりにうたれて死んだあのこのことを思い出している》はiPhoneを使いスナップ感覚で撮影したもので、レタッチも最小限にとどめている。
私は死を見たことがない。私自身が死んだことがないのは当然だが、身内の死にしても葬儀というセレモニー の場でしか体験したことがなく、常に事後的である。
唯一知る「死らしい」ものはといえばスクリーンやモニターの中のつくられた死でしかなく、しかしながら私はこういったフィクションの中のイメージで以て死というものを自然に認識しているのだろう。
タイトルにある「かみなりにうたれて死んだあのこ」は、《死ぬのはいつも他人ばかり》に於ける電撃殺虫機の放電で死んだ虫のことを想起させると同時に、死をフィクションとして仮定した場合、アイドルや架空の キャラクターのような手の届かない向こう側の存在として死をとらえ、そういった存在しない「あのこ」としての側面も持つだろう。
スナップ感覚で撮ったこの写真シリーズは、私の一連のインスタレーションにみられる極めてパーソナルな趣味性も多く含んでいる。
これはいわば私の「かわいい」写真である。スイーツの写真をSNSにUPするような感覚で。
そのスナップショットをアクリルマウントで作品化(一種の神格化)することにより、物質的にも概念的にも隔たり(フィルター)ができ、また一つ遠くの存在となる。【展覧会キャプションより】

《Coup de Grace》
《かみなりにうたれて
死んだあのこのこと
を思い出している》
《Monument》
《After Summer》


・関連イベント

オープニングパーティー&絶区シアター イベント「上手に思い出せない」
Opning Party & ZekkTheater's Event "I can't remember well"


《かみなりにうたれて死んだあのこのことを思い出している》の映像の演出をしてもらった絶区シアターに、オープニングパーティーで実際にパフォーマンスの演出をしてもらった。
ここでは“あのこ”の友人の女性2人が、“あのこ”が死んだ瞬間(ただし、死んだ現場ではない)を再演する。
パーティー会場で他の来場者に紛れて談笑する2人だが、会場に来るはずだった友人が来ず連絡がつかない。
お酒も入っていたので、そんなことも忘れはしゃいでいると、1人がうっかり飲み物のグラスを落として割ってしまう(“あのこ”が死んだことを想起させる)。
会場スタッフが割れたグラスを片付け、新しい飲み物をバックヤードで提供すると始まりに戻りまた談笑を始める。
これを計5回ループし来場者も途中からこれが仕込みであることに気づく。6回目は繰り返されず、演者の1人が窓際に花を添えて退場する。


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