《石を積む / 祭りの準備》
" Pile Up Stones / Preparation for the Festival "

「無能の運命 第九・三八零夜 / 三原回」 (2018.02/03) 多摩川の河川敷
" Muno no Ummei -Nowhere Destiny- vol.9.380 / Mihara Qay " (Feb.03,2018) at River Beach of Tamagawa

河原の石・流木・廃材・灯籠、他 / 2018


河原で開催した1日だけの個展。
個展「死ぬのはいつも他人ばかり」の中で電撃殺虫機によって死なせた無数の虫たちの供養を試みた。
作品というエゴのために殺した虫である。いまさら供養などという虫の良い話はない。ましてや新たな作品のために。
しかし、死なせた虫の死体は捨てられず、埋められず保存してあり、何かをしたいという気持ちがどこかにあるのは確かだった。
「俗をゆけ!」をメインテーマにし、ビールが重要なアイテムとなる河原での連続企画「無能の運命」は、まさに本気とも嘘ともいえない彼らの供養にうってつけの舞台だった。
「無能の運命」は祭りである。どんな祭りにも謂れがあるが、様式のみが伝統として受け継がれ、参加者でさえその謂れを知らない祭りは多い。
無能の運命 第九・三八零夜「石を積む / 祭りの準備」はその謂れが忘れ去られ、表面的な様式だけが残った架空の祭りである。

日中は彫刻的行為と題して積み石を行なう。来場者にも協力してもらったが具体的な目的は伝えなかった。
日没後は流木や河原に落ちていた廃材を使い神輿灯籠をつくり、焚き火の炎を点して担ぎ、練り歩いたあとは川へ入り流した。
神輿灯籠が流されるのを合図に、来場者は渡された流し灯籠を川へ流し、祭りのヤマは終わりを迎えた。
その後はお決まりのビール、肉、二次会、三次会、カラオケ…である。
参加者の頭の中には炎と神輿の高揚感だけが残り、祀られた死んでいった虫のことなど一片もない。

-されど、死ぬのはいつも他人ばかり- マルセル・デュシャン

撮影:関根正幸、鳴海テヨナ 他

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