《かみなりにうたれて死んだあのこのことを思い出している》
" Thinking of her who died from being struck by lightning "

「死ぬのはいつも他人ばかり」 (2013.08/23-09/16) float・あをば荘 同時開催
" Besides, it's always the others who die " (Aug.23-Sept.16,2013) at float & AWOBA SOH


インクジェットプリント , フォトアクリル


《死ぬのはいつも他人ばかり》シリーズの派生的な写真作品。
すべてiPhoneを使いスナップ感覚で撮影したもので、レタッチも最小限にとどめた。
私は死を見たことがない。私自身が死んだことがないのは当然だが、身内の死にしても
葬儀というセレモニーの場でしか体験したことがなく、常に事後的である。
唯一知る「死らしい」ものはといえばスクリーンやテレビ画面の中のつくられた死でしかなく、
しかしながら私はこういったフィクションの中のイメージで以て死というものを自然に認識しているのだろう。
タイトルにある「かみなりにうたれて死んだあのこ」とは《死ぬのはいつも他人ばかり》に於ける
電撃殺虫器の放電で死んだ虫のことでもあり、また同時に死をフィクションとして仮定した場合、
アイドルや架空のキャラクターのような手の届かない向こう側の存在として死をとらえ、
そういった存在しない「あのこ」としての側面も持つ。
ギャラリー中央には青空の中に立つ避雷針の写真を象徴的に配置。
スナップ感覚で撮ったこれらの対象は、私のこれまでのインスタレーションにみられる
極めてパーソナルであるフェティッシュな趣味性を多く含んでいる。
それらは、そのアングルや工業製品の配置、また湿っぽさなどから読み取ることができるのではないだろうか。
これはいわば私の「かわいい」写真である。女性がカフェなどでスイーツの写真を撮りSNSにUPするような感覚で。
そのスナップショットをフォトアクリルで作品化(一種の神格化)することにより、
物質的にも概念的にも隔たり(フィルター)ができ、また一つ遠くの存在となる。

※現在はInstagramにてハッシュタグ #かみなりにうたれて死んだあのこのことを思い出している で不定期更新中。

installation view

撮影:川原卓也

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