《Flicker/Hum》

「大谷楽/白石諒男/三原回 -intermission-」 (2010.01/25-30) ASK? art space kimura
" Ohtani Gaku / Shiraishi Masao / Mihara Qay -intermission- " (Jan.25-30,2010) at ASK? art space kimura


蛍光管・点滅器・冷蔵庫・液晶テレビ・アンプ、他 / 2010


各々が規則的な明滅運動を繰り返す3本の蛍光管を壁面に設置するとともに、音源と蛍光管を仕込んだ冷蔵庫を配置。音源は液晶テレビのノイズをアンプで出力したもの

【シリーズ「Eternal Motion」より】
人工的・都市的な風景をトリミングし、閉鎖的な空間にインストールする。時間の流れの中で消費し摩耗していくはずの風景は、フレーミングされることでその流れから解放される。
これらのインスタレーション作品には時間が存在しない。ゆっくりと回転を続ける換気扇や、切れかけたように明滅を繰り返す蛍光灯、大音量で流れ続ける低周波の持続音などの単純な運動こそあるが、人工的に演出された平面的、回転的な運動には始まりと終わりはなく、作品空間は鑑賞者が訪れる遥か以前よりそこに存在し、鑑賞者が去った後も永遠にそこに存在し続けることを想起させる。
絵画は永遠のメタファーである。物理的な破壊がない限り、その景色が四角いフレーム内におさまり続けることを約束されている。永遠に憧れる権力者や画家は度々その四角い王国に自らの分身を写してきた。この空間は現実の時間軸の中で最も絵画的であろうとする試みである。

なお、”永遠に死なないということへの憧れ、そこから生まれる距離”というコンセプトは後の「死ぬのはいつも他人ばかり」シリーズへ、“永遠という時間をトリミングする試み”というコンセプトは「INTERMISSION」シリーズへとそれぞれ派生していく。

撮影:村上悠太

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